2020年4月5日
象とタイの人々との長く深いつながり
親しまれ、恐れられ、敬われる
国旗、国歌、国花など、その国を象徴するものは色々ありますが、国獣=国の動物と言われてすぐに思いつくでしょうか。例えば、日本はニホンザルでも鶴でもなくキジ、オーストラリアはカンガルーとエミューでコアラではありません。なかなか思いつきにくいものですが、タイの国獣は誰もが納得する意外性ゼロの象(アジアゾウ)。タイの国旗もつい100年ほど前までは、中央に象が大きく描かれたデザインでした。その国のシンボルである象とタイ人との関わりをご紹介します。
森林から戦場へ 勇者の象徴となった「戦う象」
象と言えば動物園の人気者ですが、タイの歴史を紐解くと、象は「人気者」である前に大変な「働き者」であったことがわかります。中でも重要だったのが、「戦う象」としての役割です。時速約40kmという、動物園でののんびりとした姿からは想像できないほどのスピードで突進する体重4~5tの巨体。これはまさに「生きる戦車」です。戦闘用の象が多数飼育され、その突撃力で敵陣を破壊し、騎馬戦ならぬ騎象戦で大活躍したのです。16世紀後半のビルマ軍によるアユタヤ侵攻の際、ビルマ王子との一騎打ちで歴史的勝利をおさめた象に乗る英雄ナレースワン大王の姿はタイの50バーツ紙幣に描かれ、当時の象の勇姿を思い描くことができます。


林業から観光業へ 人々の暮らしを支える「働く象」
賢く人に慣れやすい性質を持つ象は古くから従順な労働者としても重宝されました。特に林業では、訓練された野生の象がジャングルでの木の切り出しや運搬など、1989年に森林伐採が全面的に禁止されるまでトラック並みの大きな労働力を発揮しました。その後、観光産業へと”転職“。象乗り体験は、外国人観光客だけでなく、タイの子供達にも人気で、幼い頃に体高3mもの象の背中の上に乗った経験から「タイ人に高所恐怖症はいない」と冗談を言う人もいます。鼻を器用に使って筆で絵を描く芸もお馴染みとなり、今では様々な形で人を楽しませています。
ただ、エンターテイナーとして活躍している象も、年老いて現役を退いた後、オーナーに捨てられるという悲しい現実もあります。バンコクから車で約2時間半、タイ中部ホアヒンにある「Hutsadin Elephant Foundation(フッサディン象保護基金)」は、高齢や病気でリタイヤした象の世話を目的として作られた施設で、重労働から解放された象が余生をストレスなく生きるためのサポートをしています。訪れる人たちは、散歩やシャワーなど象の世話を手伝いながら、象をめぐる環境保全の大切さについて学びます。他にも、過酷な労働で弱っている象や、森林で群れからはぐれてしまった象を集めた国立、私設の保護センターがタイ各地にあり、観光を通じて環境保全への理解を深めるエコツーリズムのひとつとして人気が高まっています。
象の世話を手伝う中で、餌の量とともに排泄する糞の量に驚かされます。1頭あたり1日75~90kgという量ですが、そこは象の王国タイ。メタンガスなどのエネルギー資源生産や、糞の繊維を利用した紙製品の製造など、再利用法が考え出されています。タイ北部チェンマイにある、その名も「Elephant Poo Poo Park(エレファント・プープー・パーク)」 の工房では、糞の洗浄、煮沸、加工などの工程を一般の人も体験できるようになっており、こうした体験での象とのふれあいもできます。


庶民から王様まで 信仰に欠かせぬ「崇拝される象」
緑豊かな国立公園内をドライブすれば、野生の象に遭遇することもありますし、かつてはバンコクの街中でもバナナ売りの象などがいたそうです。それだけ象は親しみ深い動物ですが、同時に畏敬の念を持って崇められてきた特別な存在でもあります。
「お釈迦様の生母は、ある夜、白い象が胎内に入る夢を見て、お釈迦様を身ごもったことを知った」という話は、仏教を信仰しているタイ国民の間では、子供でも知っている有名な逸話です。白い象はブッダの生まれ変わりとされ、代々タイ国王から大切に飼われてきました。なんとタイには通称「象法」といわれる象の法律があります。身体の白い部分が一定以上ある象が「白象」として認定され、発見した者は国王への献上が義務付けられています。戦後、上野動物園に象を寄贈したプミポン前国王は7頭の白象を所有していたことでも知られています。
ある時は国家を守る勇敢な戦士、またある時は田畑や森林で頼りにされる力持ちの労働者、そして多芸のエンターテイナー、神聖な仏の化身と、象は様々な形でタイの人々と深くつながってきました。しかし、森林伐採、開墾による生息地の減少や、いまだに続く象牙を目的とした密猟などにより、現在タイの象は絶滅の危機に瀕しています。フッサディン象保護基金の職員は、「象牙製品のボイコットや保護活動の支援などをお願いします」と訪れる人たちにメッセージを送ります。象とともに歩んできたタイの長い歴史に幕を下ろさないために。


(取材・文/安部真由美)