2015年7月20日
「自然に開かれた建築を考える」 -ガーデンシティにおける建築家の役割-
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建築家 伊東 豊雄氏
舞台芸術の祭典、「Singapore International Festival of Arts(SIFA)2015」が8月6日から9月19日まで開催される。これに先駆け、プレフェスティバルイベントである「the O.P.E.N.」が、6月16日から7月4日まで催された。6月27日には建築家の伊東豊雄氏が来星し、「これからの建築家の役割」というタイトルで基調講演を行った。
アートイベントの基調講演に建築家が招かれるというのは珍しいが、本フェスティバルのダイレクターであるオン・ケンセン氏は「フェスティバルのテーマである“POST EMPIRES”は、これまでのライフスタイルを考え直そうという問題提起。2011年の東日本大震災以後、多くの日本人が、節電などを通じて自発的にライフスタイルを変えていったことに大いに心を打たれた。伊東さんが指揮したプロジェクト”みんなの家”が人々によって建設される様子を陸前高田市で見たことが特に印象に残っており、今回伊東さんに基調講演を依頼した」と話す。当初は200人規模の会場が予定されていたが、希望者が450人に上ったため急遽大ホールに変更。講演を終えたばかりの伊東豊雄氏に話を伺った。
―建築家としてアートイベントに招かれるのは珍しいことですよね。
建築家の集まりに呼ばれるよりも、ありがたいと思っています。できるだけ、一般の方に向けて話をしたいと思っているので。いま実際に東京で「伊東建築塾」という私塾を作って、若い人と一緒になって島のプロジェクトをやったりしています。少し若い人たちの考え方を変えていきたい、洗脳したいと思っているんです(笑)。建築家は結構頭が固くなりがちで。「建築少年」という言葉がありまして、少年のように「俺はこういう建築を作るぞ」という夢を持っているのはいいことなのですが、建築学会に入ると1年経っただけでもう建築家ヅラをして、難しい言葉を使って「俺は今こういうことを考えているんだ」ということばっかり言うようになってしまう。もっと普通の人間として、社会人として、物事を考える習慣をつけなければいけないと思います。
―「これからの建築家の役割」というタイトルの講演でしたが、どのような考えがあったのでしょうか。
3.11の震災後に仮設住宅で暮らしていた人々の集まる場所として“みんなの家”を作るプロジェクトを始めました。利用する人と話し合いながら一緒になって作った、本当に小さな家です。でも皆さん、縁側や土間があって木の香りのするこの建築に入ったとき「家が帰ってきた」と喜んでくれた。それをきっかけに、仮設住宅のように内と外とをハッキリ分断する20世紀型のモダニズム建築とは違って、これからは内と外とが相互に関係し合うような、自然に開かれた建築が必要なのだ、と考えるようになりました。近代以前、人間は自然の一部と考えられていました。それを実践した建築を現代の新しい技術を使って作りたいということを、最近のプロジェクトを例にして話しました。
―「これからの建築家の役割」というタイトルの講演でしたが、どのような考えがあったのでしょうか。
あれは、東京ではなかなか実現しないプロジェクトなんですね。なぜかというと、緑のメンテナンスについて、東京ではすぐ「誰がメンテナンスするの?」といって話が終わるんです。でもキャピタランドへの最初のプレゼンテーションのときに、CEO以下幹部の方がその場で「いいじゃないか」と言ってくれて、すっと通ったんですよ。だからそういう点でシンガポールは素晴らしいと思います。やはり多少メンテナンスのコストはかかっても、これからの新しいシンボルになるということを感じてくださったんだと思いますね。形のうえで緑で覆われていますよ、ということではなく、むしろあの建築の考え方や働きそのもの、つまり省エネや木のように呼吸するということがシンボルになっていて、それが一番言いたいことなんです。ああいう200mを超えるような高層ビルって、極端に言うと建築家は何もやることがないんですよ。特にオフィスビルはガラス張りで、ただ同じものを積層していくという。そういう意味で言うと、少し建築の思想を変えられたかなと思っています。