オリンパスといえば、まず思いつくのはカメラとその定評あるレンズ。レンズは、内視鏡や顕微鏡など微少技術の賜物であり、同社がその内視鏡と顕微鏡の世界シェアで不動の一位を誇ることはあまり知られていないかもしれない。
本来、オリンパスグループには、内視鏡の医療部門、顕微鏡、血液分析機のライフサイエンス部門、デジタル・カメラなどの映像部門、またその技術を飛行機や半導体などの製造や検査に生かした産業部門の4つがある。
オリンパス・シンガポールは1989年に設立され、アフガニスタンからフィリピンまでの地域統括本部としての役割を果たしている。
来星2年の同社後藤澄男社長は「内視鏡一筋」で、オリンパスの基幹事業を長く支えてきた。シンガポールはハンブルグに次ぐ2カ所目の海外駐在地。国内では海外営業部などで活躍し、海外でそれぞれの事業拡大に注力したことが今回の来星につながった。
デジタル・カメラの分野は、日進月歩の技術革新やマーケットのニーズに迅速に対応するため、昨年事業を分社化し、オリンパス・イメージング・シンガポールを設立。オリンパス・シンガポールとしては、医療部門、産業部門などの事業拡大を重点に取り組むことになった。
同社の内視鏡はすでに世界各地で70〜80%のマーケットシェアを誇る。その事業を拡大するには、東南アジアが期待されている。しかし、現場の医療状況や経済力が格段に違う中で、最新の医療機器を拡販するのは日本や欧米にない苦労があるに違いない。
「マーケットの違いに驚かされることは多いです」と大きく頷く。後藤社長自らも各国の現場に足をよく運ぶ。少しでもマーケットの現状を知り、ユーザーの声を集めるためだ。また、機器のアフターサービスの充実はもとより、内視鏡を使いこなす医師を増やすための学会サポート、現場の医師の先進国への派遣、研修の機会を作る手伝い、東南アジアに適した医療機器を作る提案もしているという。 「早く発見できれば救える命」に関わる医療機器を扱い、また内視鏡のシェア1位を誇る企業の責任でもある、と同社長は真摯に語る。
異文化間でビジネスを遂行する同社長のモットーは、「原理原則を持って朝令暮改をする」。その原理原則に合意するか否かは別としても、それが相互理解の根拠になりますから、と語る。
その言葉には、常に変化し、習慣や儀礼の異なるアジアの中で、しっかり自らの物差しを持ち、かつ、しなやかに対応していくという姿勢がうかがえる。もともと「原理原則」は欧米でのやりとりから学んだことだが、柔軟性の部分に関しては、商習慣の違う多種多様なマーケットを統括するシンガポールでその必要性を一層実感したそうだ。
来星した年は、SARS(新型肺炎)やイラク戦争で落ち着かない一年が続き、自分の時間どころではなかったと振り返る。
来星当時、前任者に「これだけは」と勧められゴルフを始めるが、のめり込んだ結果、左肩を痛め、今では以前からの趣味であるテニスを楽しんでいる。
引退後はテニス仲間と4大テニス大会を観戦して回りたいというほどのテニス好き。シンガポールならではの余暇の過ごし方をたずねると、シンガポール国内外の寺院や史跡を巡ることだそう。シンガポールの史跡?と思われるかもしれないが、後藤社長は先代の日本人がシンガポールに残した足跡を辿るべく、昭南神社跡を訪れたりもしたそうだ。紀国屋書店に足を運び、史跡に関する書籍を探して読書を楽しむことも。
また「一日一回大声で笑う」ように心がけているそうで、「それは免疫力を高めることにつながるんですよ」とにっこり。
笑いたい人は人を笑わせたいもの。現在はアジアの国民性を上手く掴んだジョークをよく考えるのだそうだ。長年の経験から、異文化同士が笑い合えるような話題作りは、公私共々ラポールを築くきっかけになることを後藤氏はよくご存知なのである。