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新日本プロレス所属 オカダ・カズチカ選手 人生模様を映し出す「日本のプロレス」をアジアから世界へ

日本のプロレス界が、生きる伝説といわれるアントニオ猪木の最盛期以来の注目を集めている。なかでも三浦しをんといった著名作家が所属団体の公式ブックに寄稿し、篠山紀信が本人のグラビアを撮影するなどプロレス人気を再燃させた一人が、新日本プロレスの頂点に立つエース、オカダ・カズチカ選手だ。「レインメーカー(プロレス界にカネの雨を降らせる男)」を自称するオカダ選手は、甘いマスクと鍛え上げられた肉体で少年や女性ファンを魅了するだけではない。往年のファンからもそのプロレスセンスは“数十年に1人”の逸材と一目置かれている。今回、7月に開催された「C3 CharaExpo 2016」内の試合出場のため来星したオカダ選手に話を伺った。

 

―昨年の「CharaExpo2015」以来、2回目の来星になりますが、シンガポールの率直な印象を聞かせてください。

実は2回も来ているのに、マリーナ・ベイ・サンズや街中を少し散歩したくらいで本格的な観光はまだできていないんです。ただホテルからの移動中に車窓から見える街並みが都会的でとても刺激を受けますね。本場のチキンライスは堪能しています。味はもちろんですけど、良質なたんぱく質を手軽にとれるという意味でも大好きです。
なにより今までのプロレス興行はCharaExpo内のイベントのひとつだったのが、今回の試合で在星のみなさんに今年11月15日(火)、新日本プロレス(以下略、新日本)単独のイベントとして初のシンガポール大会の開催のご報告ができたことを、とても光栄に思っています。これが在星の日本人はもちろん、東南アジアの方々が日本のプロレスを知るきっかけになればうれしいですね。

 

―プロレスラーを目指したきっかけをお聞かせください。

少年時代は野球と陸上をやっていました。「プロレスラーになりたい」と思ったのは兄が借りてきたプロレスのゲームにはまった14歳のときです。ある高校から陸上部で特待生入学の話をもらっていましたが、プロレスラーという明確な目標がありながら高校へ行くのは嫌でした。それで16歳の時、プロレスの本場・メキシコにあった「闘龍門」(リングネーム・ウルティモドラゴンで海外でも活躍した浅井嘉浩氏が校長を務めるプロレス学校)に入りました。リング上で飛んだり跳ねたりする空中殺法や技から技への流れの美しさに惹かれたんです。

 

―10代半ばから海外で武者修行とは思いきった決断でしたね。

中学卒業後の16歳からメキシコで3年半、その後アメリカで約2年間修行しました。海外での経験が自分を強くしてくれたのは事実です。試合に出るためメキシコからイタリアへ行く際、経由のニューヨークまでの便が大幅に遅れてしまって、空港で言葉は通じないし携帯電話もないし、誰に連絡を取ればいいか途方にくれました。結局、カウンターの人とやりとりして乗り継ぎの便に乗れましたが、当時はまだ18歳でしたから。別の国ではピストルを突きつけられて「金をわたせ」と脅され何とか逃げ出した経験もあります。その時は不安になりますけど、もともとポジティブでハプニングを楽しめる性格なのかもしれません(笑)。

 

―史上最年少の24歳でIWGPヘビー級王座(アントニオ猪木が創設した新日本プロレスで最高峰のタイトル)、2度の「プロレス大賞」MVP獲得など輝かしい経歴をお持ちですが、苦労した体験があれば教えてください。

しんどかったのは、激しい練習と先輩の付き人生活の両立でした。修行先のメキシコでもそうでしたが、19歳で新日本に入団し寮生活を送りながら、子供の頃にテレビで見ていた有名選手とスパーリングをして毎回ボコボコにされました。さらに巡業中は試合や食事会が終わってから深夜、先輩たちの下着を抱えて洗濯場へ通う日々です。睡眠不足でも早朝起きて先輩たちと一緒にバスに乗る。巡業先でも練習と試合、雑用の連続でした。自分の時間は皆無でしたね。
ただ辛い体験だけじゃなく、僕は永田裕志さんというレスラーの付き人をやっていたんですけど、身体が大きくなれなくて悩んでいた時、「飯行くぞ」って昼夜と外食に連れていってくれました。僕が永田さんの荷物を宿舎に置き忘れてしまった時はスクワット1,000回やらされましたけど(苦笑)。自分も永田さんのように後輩の面倒はしっかりみてやりたいと思っています。日本へ遠征に来る外国人レスラーにも年齢関係なく世話してあげたいし、日本を楽しんでもらいたいですね。

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米国などの海外でもオカダ選手の「レインメーカー」の決めポーズは人気が高いという。

―「プロレスの魅力」を読者にわかりやすく解説してください。

ひと言で語るのは難しいです。新日本は業界ナンバーワンの選手層を誇っていますが、それぞれ戦い方や個性、生き様が違います。その多様性やドラマも含めてプロレスなわけで、観客が感情移入できる選手が必ず誰かいるんです。感情をむき出しにして何度でも立ちあがっていくタイプ、抜け目のない奔放なトリックスター、いつもクールでブーイングも受ける自信満々なタイプ、満身創痍になるまでリングに上がり続ける老骨レスラーなど。だから同じ試合は二度とないし、ときには負けた選手のほうが観客から温かい声援をもらい注目される。
新日本は今年、創立44周年を迎えますが、そんなドラマがこれだけ長く続いている娯楽は少ないと思います。一つひとつの試合に光と影、刹那のきらめきがあり、勝つことだけに価値が置かれていないスポーツでもあるんですね。同時にプロレスは人に生きる勇気を与えられる。だからお客さんに痛みが伝わらない技はやりません。どんなに痛くても「観客と痛みを共感できない技で勝つのは意味がない」というのが僕のプロレス哲学です。

 

―今や「日本プロレス界の顔」ですが、自負していることがあれば教えてください。

実は今年になって先輩の中邑真輔選手(現在、米国にある世界最大のプロレス団体WWEで活躍中)を始めとする5人のトップレスラーが次々と新日本から離脱し、「創立以来のピンチ」とマスコミで騒がれました。当初、これからどうなるのかと不安になったのは事実です。でも、不在になったポジションに誰が座るか考えているようではだめで、すぐに「僕が面白くしてやる」って気持ちに変わりました。逆境がチャンスに見えるんです。うちの団体は、歴代の先輩レスラーやスタッフさんの長い努力の積み重ねでここまで大きくなりました。僕が現場でずば抜けて努力して突出していれば「チャンピオンのオカダがあれだけやっているんだから俺たちもやる」って思ってもらえますから。

 

―プライベートについて教えてください。

移動時間や休日はマンガをよく読みます。『黒子のバスケ』からはチームプレイの奥深さを、逆境から這い上がる強さやスポーツマンシップの大切さは野球モノの『MAJOR』から学びました。好きなマンガからはすべてその哲学を学ばせてもらっている気がします。ビジネス書も読みますよ。今、日本のプロレス界を背負う立つ立場にいて、各界の方々と会う機会が増えているので、トップに立つ者の心得や対話術、立ち居振る舞い的なことです。レスラーとしてだけでなく人として恰好よくありたいですから。自宅はマンガや書籍だらけです(笑)。

 

―AsiaX読者にメッセージをお願いします。

富裕層の国というイメージが強いシンガポールには、「レインメーカー(プロレス界にカネの雨を降らせる男)」と呼ばれる僕のような存在はぴったりだと思っています。各国のトップ選手が集まっている今の新日本、いや日本のプロレス界のレベルは世界一だという自負もあります。今年11月15日に開催されるシンガポール大会では世界レベルの戦いが観られることをお約束します。F1やボクシング、様々なスポーツエンターテイメントが開催されているこの国の方々に少しでも注目していただくことで、東南アジアを始め世界各国に日本のプロレスファンが増えることを心から願っています。

 

新日本プロレスシンガポール大会レスリングワールド2016
日時:11月15日(火)19:00~ 場所:マリーナ・ベイ・サンズ
エキスポ・コンベンションセンター ホールB 料金:48Sドル~228Sドル
チケット購入www.sistic.com.sg/events/wrest1116