今年1月に適用されたエンプロイメント・パス(EP)の新基準により、外国人労働者の最低給与は月額3,600Sドルと大きく引き上げられた。これまでもEPの最低給与は引き上げられてきたが発行数に歯止めはかかっていなかった。増えすぎた外国人労働者の数を抑え、シンガポール人の雇用を確保するための措置として、シンガポール政府は就労ビザの規制を一段と強化している。こうした中、シンガポール日本商工会議所(Japanese Chamber of Commerce & Industry, Singapore:JCCI)は、シンガポール人材開発省(MOM)への要望書の提出など、日系企業がスムーズに事業を展開できるようさまざまな働きかけを行っている。
日系企業を悩ませているもののひとつが「ウォッチリスト」だ。シンガポールの政労使代表で構成される「公平で革新的な雇用慣行のための政労使連合(Tripartite Alliance for Fair & Progressive Employment Practices:TAFEP)」は、シンガポール人の雇用・育成に力を入れない企業をこのリストに掲載しており、一度掲載されるとEPの新規申請や更新が滞ってしまうという。
JCCIの事務局長である長尾健太郎氏はこう指摘する。「ウォッチリストに掲載された企業の場合、シンガポールへ社員を派遣することが決まってもEPが発給されず、再度日本側との調整が必要になるケースも散見されます。人事異動がスムーズにできず、経営に重要な影響を及ぼすと危惧している企業も少なくないようです。シンガポールから撤退する企業がいるという話はまだ聞いていませんが、今の状況が続けばその可能性を模索しないといけない企業が出てくるかも知れません」
ウォッチリストに関する要望書をMOMへ提出
こうした中、JCCIは6月22日、MOMに対してウォッチリストに関する要望書を提出した。この要望書には①ウォッチリスト掲載前に、対象企業と当局間で協議する場を設ける②リスト掲載および削除の条件を明確にする③外国人が必要なポジションがある場合に、MOMに柔軟な対応を求める―の3点が盛り込まれている。
要望書を提出した背景のひとつが、これまでウォッチリスト掲載の通知がいきなり送られて来るため、事前の協議ができなかったことだ。企業によっては、専門知識などを持った外国人が必要になる場合もあるとして、JCCIはMOMに対して個別のケースを勘案するよう求める考えを示している。JCCIによると、MOMから要望書に対する直接の回答はないというが、MOMの担当者は日系企業との対話に応じる姿勢を見せているという。
7月25日にはシンガポール日本人会で、リム・スイセイ人材開発相およびMOMの担当者を招き、JCCIとの間で意見交換が行われた。「こうしたシンガポール側の対応は、われわれの要望書を受けてのアクションだと思います」(長尾氏)。今後JCCIは、日本大使館とも情報交換しながらEPがスムーズに発給されるよう連携していく方針といい、動向が注目される。
ウォッチリスト掲載企業へのアンケートから分かることは?
このほかJCCIはウォッチリストに関する現状を調査するため、会員企業826社を対象に実施したアンケートの結果(有効回答数177)を6月22日発表した。回答した企業のうち、ウォッチリストに指定されている、または過去に指定されたと答えた企業は14社あり、うち5社が、日本人を含む外国人スタッフのEP申請が滞っていると回答した。また複数の企業が、TAFEPから「外国人労働者の比率が高いと指摘された」「シンガポール人の採用を増やすよう促された」と答えている。
「工業や金融、貿易など、リストに掲載された企業の業種はさまざまで、特定の業種に偏っているわけではないようです。また調査結果から、2017年1月以降、リストからの指定が解除された企業はほとんどないことが見て取れます。リストからの指定解除は容易ではなく、掲載されたことを重大な経営上の課題として捉えている企業も多いようです」(長尾氏)。
今後、JCCIとしてはどのような対応を取っていくのか。長尾氏は次のように話す。「他の日系企業がリストに掲載される可能性は大いにあります。今回のようなアンケート調査を継続し、定点観測することで状況をしっかり把握しながら、今後の対応について検討する必要があります」
海外から積極的に労働者や投資を受け入れることで成長してきたシンガポールだが、「外国人が自分たちの仕事を奪っている」という国民からの不満の声は根強いようだ。シンガポール政府は自国民の雇用を優先する方針を鮮明にしており、シンガポールにおける日系企業を含めた海外企業の事業展開は大きな転換期を迎えていると言える。日系企業はJCCIら関係機関とも情報交換しつつ、シンガポール人の採用および育成に、これまで以上に力を入れなければいけない時を迎えているといえるだろう。