2020年3月5日
スポーツ国家を目指すシンガポールの狙い
シンガポールで日々取り沙汰されるさまざまなニュース。 そのなかから注目すべきトピックを、専門家がより深い視点から解説します。
スポーツ後進国とも揶揄されるシンガポールが、スポーツ国家としての存在感を高めている。その背景には、国民のスポーツ熱の高まりや、オリンピックで初の金メダルを獲得したスター選手の登場に加えて、政府の強い思惑があるとみる。本稿では、「観戦」するスポーツと、「する」スポーツの双方の視点から当地のスポーツ界を俯瞰し、スポーツに映し出されるシンガポールの本質を考察してきたい。
目次
年々高まる国民のスポーツ熱
マラソン大会の参加者は10年で10倍
日本に比べて学歴社会の風潮が強いシンガポール。学業との対比においてスポーツの重要性や意義が軽度に論じられる傾向があり、スポーツ後進国と揶揄されることもある。確かに日本のように学生スポーツや実業団の裾野、そしてプロスポーツ界が発達していないシンガポールでは、国民が観戦やメディアを通してスポーツに接し、それを話題にする機会が少ない印象は否めない。そんな常態を覆したのが2016年リオデジャネイロ五輪競泳男子100メートルバタフライでシンガポールに史上初の金メダルをもたらしたジョセフ・スクーリング選手(24歳)。五輪後に一気にスターダムを駆け上がった国民的スターに対する関心は、その後は競技以外にも及び、スポンサーの獲得からプライベートな生活まで、たびたび国民の話題をさらっている。
一方で、当地では平日、週末を問わず、早朝にはウォーキングやジョギング、サイクリングをする幅広い年齢層の市民、朝夕の通勤や昼食の時間帯にはジムやヨガスタジオに立ち寄るであろう装いのビジネスパーソンにほぼ毎日遭遇する。国民のスポーツ熱は、健康志向の高まりを背景に年々増大しているとみる。実際にスポーツ・シンガポールによる国民の運動実態調査によると、週に3回以上は運動をする国民は2014年には38%を占め、初めて調査が実施された2001年の16%に比べて倍増している。また2019年には、フルマラソンも含めたランニングイベントが合計で116回も開催されている。年間で最大のマラソン大会であるシンガポール・マラソンでは、2019年には各距離のカテゴリーに計5万1,000人のランナーがエントリーしており、その数は2009年の大会から実に約10倍の規模に成長している。
国は積極的にスポーツ振興を支援
スポーツ・ハブは世界的イベントの舞台
スポーツ国家とは、国内に世界最高クラスのスポーツ施設を持ち、世界的なスポーツイベントを開催できる能力を備えていることも意味する。国を挙げてスポーツを振興する試みは、シンガポール政府の動向からも見て取れる。その代表例が、世界初のスポーツ施設のPPP(官民パートナーシップ)事業として2014年に完成したシンガポール・スポーツ・ハブ。13.3億Sドル(約1,000億円)を掛けてカランの旧ナショナル・スタジアム跡にオープンした総合施設は、国立競技場、水泳競技場、多目的室内アリーナやショッピング・モールなどから構成されている。イベント不足による稼働率の低迷や繰り返される経営者の交代など、運営面では依然として課題が散見されるものの、世界クラスのスポーツイベントやコンサートなどが開催されている。
当地では、ラグビー、サッカー、水泳などの競技でトップクラスのアスリートが参加するイベントが定期的に開催されている。また2002年から続く前述のシンガポール・マラソンは、世界6大マラソンといわれるワールド・マラソン・メジャーズ(WMM)入りを目指しているとされる。仮に実現すれば2013年に加入を果たした東京マラソンに次ぐ7つ目の大会になるわけだが、是が非でも国内のスポーツシーンを世界レベルに底上げしたい政府の後押しもあり、実現可能性は低くない。加えて、シンガポールは2008年からF1グランプリを毎年開催しているほか、2011年に発足して以来、東南アジア以外にも市場を拡大する総合格闘技「ONE チャンピオンシップ」が拠点を構えるなど、一流のスポーツイベントの有能な開催地であることを証明している。
突出して高い金メダルの獲得効率
野球チームはSEA Gamesに初出場
国民のスポーツ熱は高まり、世界クラスのスポーツイベントを開催できるインフラを備えるシンガポール。ローカルアスリートの能力水準を、いくつかの事例を参考に考察してみたい。
2年に1度開催されるSEA Games(東南アジア競技大会)。2001年から2019年までの大会における各国の金メダル獲得数を比較してみると、シンガポールはフィリピン、ベトナムに並び、過去10大会にわたって着実にパフォーマンスを上げていることが分かる(図1)。ただ、昨年11月から12月にフィリピンで開催された第30回大会では、シンガポールの金メダルの獲得数は53個にとどまり、参加した東南アジアの主要6ヵ国の中では最下位となっている。しかしながら、各国の人口と金メダルの獲得数を比較してみると、シンガポールは人口100万人当たり9.3個の金メダルとなり、6ヵ国の中で突出して「効率的に」高いパフォーマンスを上げていることが読み取れる(図2)。
また53個の金メダルを種目別に見てみると、23個は水泳で獲得しており、スクーリング選手を中心に、ごく一部の種目の限られたアスリートのみが、世界に通用するレベルにあると言える。また少々蛇足的ではあるが特筆したい点がある。第30回大会において、世界ランク22位のシンガポールの男子ソフトボールチームは、開催国かつ前回大会で金メダルを獲得したフィリピンを決勝で破り、史上初の金メダルを獲得している。また当地ではマイナーな競技であるソフトボールに比べても競技人口でさらに見劣りするシンガポールの野球チームは、第30回大会が初めて参加するSEA Gamesとなった。高いハードルを越えて大会への参加を果たしたこと自体が大きな功績とも言えるが、結果は残念ながらカンボジア代表チームとの試合に勝利したのみで、参加5ヵ国の中で4位に終わっている。
スポーツには国を一体化する役割
政府は次なるスターの登場を待望
近年のシンガポールのスポーツ界は、「観戦」および自らが「する」スポーツの双方において着実に発展を遂げている。その起点の一つには、2001年に当時のゴー・チョクトン首相が打ち出した「Sporting Singapore(スポーツ・シンガポール)」のビジョンがある。この中で、ゴー首相は、「チーム・シンガポール」のコンセプトをさらに発展させ、スポーツが持つ、国を一つにまとめる役割にも触れながら、スポーツのコミュニティや文化を醸成していく方針を打ち出している。また2012年には、How can sport best serve Singapore?(スポーツはいかにしてシンガポールに貢献できるか?)の命題の下、「Vision for 2030(2030年のビジョン)」が策定され、その中には、united(団結)、resilient(強靱)、patriotic(愛国心)のキーワードが含まれている。
2001年と2012年の二つの節目からは、スポーツを通して国威発揚と国民の一体化を強化したいシンガポール政府の一貫した狙いが垣間見える。日本においても、野球やサッカー、最近ではラグビーの国際大会が開催される度に、多くの国民が「にわかファン」となって国中が熱狂に包まれる。すなわちこれらのスポーツ大会は、将来的に競技人口の増加などに貢献する効果もさることながら、自国のアイデンティティや誇りを国民が自覚し、国民同士が自然と結びつく効果が無視できない。スクーリング選手が2016年のリオ五輪で金メダルを獲得して以降の様々な事例が後者の効果を物語っており、「社会的包摂」の強化を図るシンガポール政府がスポーツ国家としての発展を目指す大きな狙いは、正にこのスポーツがもたらす副次的な効果にあるのではないだろうか。
ピックアップニュース
Sporting fraternity, pupils and parents laud CCA pilot move
(ストレイツ・タイムズWeb版 2020年1月22日付)
<記事の概要>
教育省は、課外活動(CCA:co-curricular activity)に参加する生徒の選抜を行わないようにする予備研究を一部の小学校で開始。より多くの生徒が自分の興味に合ったCCAに参加する機会が得られるようになることから、教師や生徒、保護者、スポーツ愛好者なども高く評価している。
山﨑 良太(やまざき りょうた)
慶應義塾大学経済学部卒業。外資系コンサルティング会社のシンガポールオフィスに所属。
週の大半はインドネシアやミャンマーなどの域内各国で小売、消費財、運輸分野を中心とする企業の新規市場参入、事業デューデリジェンス、PMI(M&A統合プロセス)、オペレーション改善のプロジェクトに従事。
週末は家族との時間が最優先ながらスポーツで心身を鍛錬。