2012年10月15日
シンガポールの雇用法制度と企業文化
ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所 Foreign Legal Advisor(外国法弁護士) 岡本 直己 業種:法律事務所
私は、本年8月からシンガポールで勤務を開始しましたが、わずか2ヵ月の当地での経験に基づいて語れることは、まだそう多くはございませんので、ここでは、日本の弁護士でもある私がシンガポールの法律事務所でどのような仕事をしているのかを簡単にご説明し、シンガポールの雇用に関する法制度について、日本の労働法との違い等に触れてみたいと思います。
シンガポールの法律事務所での日本人弁護士の仕事
私は、同事務所の日本グループに所属しており、主として日系企業の皆様の東南アジア進出ならびに進出後の事業展開を法務面でお手伝いさせていただいています。具体的には、シンガポールをはじめとする各国の弁護士たちとクライアントの方々の間に入り、コミュニケーションの円滑化を図ることが最大の仕事です。会議やメールのやり取り等において通訳・翻訳を行うことがよくありますが、当然ながら日本とは異なる法制度の国々における法律問題を取り扱うため、背景となる法律知識や法制度への理解がなければ、コミュニケーションを充実させ、クライアントの方々にアドバイスの内容をきちんと理解していただくことはできません。他方で、稟議決裁等の日本企業独特の意思決定プロセス等の企業文化を理解していなければ、日系企業の担当者の方が真に意図しておられることを正確にシンガポール弁護士に伝えることが難しい場合があります。
私の場合、アメリカ留学で学んだ英米法の知識と、日本で積んだ企業法務の経験を生かし、シンガポール弁護士のアドバイスを正確に伝達するとともに、クライアントの担当者の方の意図をうまくシンガポール弁護士に理解してもらうように努めています。また、日本とシンガポール等の東南アジアの国々とでは、企業法務文化の面で異なる点がありますので(例えば、スケジュール感覚)、日本での企業法務の経験を生かし、そうした違いを埋めて、案件をスムーズに進めるのも、私たち日本人弁護士に期待されている役割です。
シンガポールの雇用法について
このような仕事の中で、シンガポールで活躍されている日系企業の皆様からの相談が多い分野のひとつが雇用法です。シンガポールの雇用法の特徴は、あえて一言で表現すると、「企業フレンドリー」な点にあります。日本の労働法では、雇用される労働者の権利保護のため、一定の雇用条件については、企業側と労働者側の双方が合意しても効力が認められない場合がありますが(例えば、最低賃金制度はこの典型例です)、シンガポールではそのような規制は最低限度にとどまります。そもそも、雇用法(Employment Act Cap.91)はすべての労働者に適用されるわけではありませんので、適用がない労働者の労働条件は、個別の契約でかなり自由に定めることができます。
また、最もよく話題に出るものとして、解雇に関する法規制が厳しくないことが挙げられます。日本の労働法では、いわゆる解雇権濫用法理という考え方があり、解雇が認められるためには「客観的に合理的な理由」が必要とされている上、この「理由」は非常に限定的に解釈されています。これに対し、シンガポールでは、基本的に解雇に理由は必要ありません。全く規制がないわけではありませんし(例えば、従業員が妊娠中の解雇は許されないなど)、解雇予告期間を設けた通知等、必要な手続きはきちんと履践する必要がありますが、解雇に関する裁量が概ね企業サイドに広く認められているといえます。このように、シンガポールの雇用法は、企業に対して非常に好意的で、事業活動の自由度が高くなるよう設計された制度といえます。
シンガポールがこうした雇用法を採用している理由は、ビジネスを行い易い環境を整え、海外からの投資を誘致するためと一般にいわれていますが、日本の弁護士である私としては、政策的な配慮とはいえ、かなり思い切った仕組みだな、という印象を受けました。こうした制度が、ジョブホッピングと呼ばれるキャリア設計のあり方等とも相まって、高い離職率等、シンガポール独自の雇用文化を生んでいるのだと思われます。もっとも、私がお話をお聞きしたいくつかの日系企業の方によれば、日系企業で働くシンガポールローカルの従業員の方々の勤続期間は、比較的長い場合が多いそうで、長期雇用が特徴である日本の雇用文化とシンガポールのそれとが融合し、新しい企業文化が生まれているような印象も受けました。個人的にも興味深く感じられる分野ですので、今後、シンガポールの企業文化についてより一層理解を深めてまいりたいと思います。
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.222(2012年10月15日発行)」に掲載されたものです。