2014年11月17日
東南アジア最古のシナゴーグ。ユダヤの歴史を刻む佇まい
MRTブラスバサー駅至近のウォータールー・ストリートにあるユダヤ教会堂、「マグハイン・アボース・シナゴーグ」。1878年、当時、「シナゴーグ・ストリート」と呼ばれたこの通りに設立され、今年で創立136年を迎えました。東南アジア最古のユダヤ式建造物として昔と変わらぬ景観を保持、目まぐるしく変わるシンガポールを一瞥するかのごとく、静かに佇んでいます。
大戦中の占領下では旧日本軍やシンガポール住民の重要な会議施設として、また、ユダヤ人住民が情報交換したり、援助が必要な人への資金集めの場としても有用されました。1998年に国定史跡として認定され、およそ2,500人の在星ユダヤ人が集う交流の場になっています。
自由と安全を求めて辿り着いた希望の地
当地におけるユダヤ人の歴史は、1830年頃まで遡ります。記録ではインドからイラク・バグダット出身の9人の商人らが上陸したのが始まり。主に生姜やナツメグ、シナモンなどのスパイスや、絹、綿、真珠や紫水晶を取引していました。
彼らがこの地に辿りついた背景には、宗教上の制約や政治的迫害によるディアスポラ(離散)があります。また、スペインやポルトガルにルーツのあるセファルディ系の富豪、デイビット・サスーン氏がジャワ島の砂糖をインドに輸出する拠点を築いたことも追い風となり、自由を求めて新たな定住の地や商機を求めたバクダッドやペルシア地方のセファルディ系や東ヨーロッパからアシュケナージ系(ドイツやポーランド、ロシアにルーツのあるユダヤ人)が続々と集結。宗教に敬虔な民族性から、切望されて設立された当初のシナゴーグは約503平方メートルの広さ(約40人用)で、サウスカナル・ストリートからすぐの現シナゴーグ・ストリートにあったショップハウスに建てられました。1870年代になるとユダヤ人の増加につれ、更に広い場所が必要になります。しかし、政府から土地を譲り受ける許可がなかなか下りず、30年間利用されたこのシナゴーグの売却により、合意にこぎつけます。
この交渉を行い、現シナゴーグ設立に多大な尽力を果たしたメナッシュ・メイヤー卿は、アジアで最も裕福なユダヤ人の一人として知られていました。東部地域にある「メイヤー・ロード」は彼にちなんで名づけられたもの。1861年、15歳の来星時、貧しくも野心家だった彼は、不動産ディーラーとして徐々に頭角を表し、アヘン貿易も手掛け、当時のシンガポールの約半分の土地を保有するまでとなりました。1905年には、オクスレイ・ライズに構えていた住居の隣に、私用のシナゴーグ「ヘセッド・エル(Chesed El)」も設立(現存、大戦中は旧日本軍が仏寺として使用)しました。
メイヤー氏に限らず、ユダヤ系実力者の名にちなんだフランケル・ドライブ、アンバー・ロード、アディス・ロード、エリアス・ロードなどの数々の通りや「ダビデの星」の印がついた建物が今でもシンガポールには顕在です。