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熱帯綺羅

2014年10月6日

150年の歴史に寄り添った芸術センター「ビクトリアシアター&コンサートホール」

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シンガポール川河口の北側、旧英国植民地時代の面影のある建物や橋などが残る地区はエンプレス・プレイスと呼ばれ、博物館やアートスペース、レストランなどが多くあります。1819年に英国東インド会社のトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が欧米人として初めてシンガポールに上陸した地点でもあり、旧英国植民地政府の官庁所在地として長い間政治の中心地でした。ビクトリアシアター&コンサートホールはその中にあり、2010年から約4年に及ぶ改装工事を経て、今年7月に再オープンしました。

 

建国の歴史を見つめた場所

 

スクリーンショット 2015-07-01 12.21.14現在のビクトリアシアター&コンサートホールは、時計台を挟んで劇場とコンサートホールを左右に擁した建物です。正面から向かって左側の劇場は1862年に著名建築家のジョン・バーネットの設計による市役所として、右側のコンサートホールは、ビクトリア女王の逝去後、その統治を記念して1905年にビクトリアメモリアルホールとして建てられたものです。54mの高さをもつパラディオ様式の時計台は、左右の建物を連結するためにメモリアルホールと同時に建立されました。劇場のこけら落としは1909年に上演された喜劇オペラ『ペンツァンスの海賊』だったとか。
第二次大戦中の旧日本軍占領時代には、負傷兵を収容する病院や日本軍のための劇場となり、戦後は軍事裁判の場にもなりました。さらに1950年代以降はシンガポール自治政府設立のための公聴会や国連の経済会議、人民行動党の結党の集会などにも使用され、常にシンガポールの歴史とともにある場所でした。また、1950年代の改修工事で冷房設備が導入され、音響施設の改良もすすみ、1963年にはシンガポール初のテレビ局が最初の試験放送を行うなど、時代の先端を行く存在でもありました。1979年にビクトリアメモリアルホールはビクトリアコンサートホールと名を改め、設立したばかりのシンガポール交響楽団(SSO)を専属楽団とし、シンガポールの音楽芸術の発展に寄与してきました。

 

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