2015年7月20日
シンガポールとインドの歴史を辿る旅へ インディアン・ヘリテージ・センター
数千年も前から、インド系の人々は貿易を通じて、東南アジアに言語や宗教、民族コミュニティの統治方法をもたらしてきました。シンガポールの国名も、「シンガプーラ(ライオンの町)」というインドのサンスクリット語が由来となっています。近年ではシンナサンビ・ラジャラトナム元シンガポール第二副首相をはじめ、政界でもインド系住民が大いに活躍。インド系住民は昔も現代も、中華系住民、マレー系住民とともに、シンガポールの文化や政治に様々な影響を与えています。しかし、チャイナタウン・ヘリテージ・センター(Chinatown Heritage Centre)やマレー・ヘリテージ・センター(Malay Heritage Centre)は存在しても、インド系住民の歴史に焦点を当てた常設施設はありませんでした。シンガポールが発展した背景に、インド系住民の存在も欠かすことはできないとして、シンガポール国立博物館やプラナカン博物館を運営するナショナル・ヘリテージ・ボード(National Heritage Board)が施設の創設に向けて動き出し、2015年5月、ついにリトル・インディアに「インディアン・ヘリテージ・センター(Indian Heritage Centre)」が完成しました。
南アジアとの貿易が、シンガポールを変えていく
東南アジアと南アジアとの歴史は、現存している美術品などを調べると今から2,000年前の1世紀にまで遡ることができます。当時は仏教やヒンズー教にまつわる石像のほか、古代インドのラーマーヤナやマハーバーラタという叙事詩と関連性を持つ芸術作品などが数多く流通していました。
何世紀にも渡って広範囲な交易が続きましたが、大きな変化が訪れたのは、アジア各地で英国の植民地化の動きが強まった19世紀初頭。特にシンガポールは、マレー半島の先端にあり地理的な条件が良いことから中継貿易港として発展し、アジア全体の貿易が拡大されました。するとインド南部のマドラスや東部のコルカタなどからも多くの人々がシンガポールに流入するようになり、インド系住民の数が増加。コミュニティの多様性も増し、インドの言語、宗教、衣服や食といった文化が、シンガポールで定着していくようになりました。
20世紀に入ると、シンガポールに移住したインド系コミュニティと、インド本土との経済関係はより一層深まり、反植民地主義者の間で本国への帰属意識が高まりました。移民にタミル語を話すタミル人が多かったことから、タミル語による新聞やラジオ放送などが登場。インド系の政治的影響力も大きくなっていきました。