2015年10月5日
世界遺産に選ばれた国民の憩いの場 ボタニック・ガーデン
シンガポールの中心地、オーチャード界隈に位置するボタニック・ガーデン。東京ドーム約16個分相当の74ヘクタールを誇る当ガーデンには、年間約440万人の人々が訪れます。今年7月4日には国内初の世界遺産にも登録されました。その決め手は、世界遺産登録の基準10項目のうち「東南アジア諸国の経済的発展に大きな影響を与えたこと」「シンガポール国民の文化交流に重要な役割を果たしたこと」を満たしたことが挙げられます。
東南アジア経済の発展に貢献した若き植物学者、
そしてパラゴムノキ
ボタニック・ガーデンの歴史は1859年に遡ります。著名なビジネスマンであり熱心なガーデナーでもあったフー・オーカイ(Hoo Ah Kay、通称Whampoa)がタングリンに所有していた、東京ドーム約3個分に相当する24ヘクタールの土地。これを彼自身が所属していた農業園芸協会(Agri-Horticultural Society)が譲り受け、シンガポール国民の憩いの場として、また訪れる人々が美しい花々を楽しめるようにと開設したのが始まりです。
ところが1875年、負債が膨らんだことから園芸協会から政府の手に運営が委ねられます。そこで、若き植物学者ヘンリー・ジェームズ・マートンが園長となったことにより、植物の研究の場としての側面が加わります。中でも東南アジア経済を大きく変えたのがパラゴムノキ(英名:Para rubber tree)です。1876年にブラジルからイギリスに運ばれた7万個ものパラゴムノキの種のうち、シンガポールに植えられた種は11個でした。その後10年以上の歳月をかけてゴムの木は栽培に成功します。
木の植え付けに成功し、先見の明もあった当時の園長ヘンリー・ニコラス・リドレーはパラゴムノキの種を持ってマレー半島の農家を訪ね歩き、何とかこの木を植えてもらおうと尽力します。しかし、当時のマレー半島ではコーヒー豆の栽培が主流で、農家からはほとんど見向きもされなかったそうです。その時、彼についたあだ名は「Mad Ridley(狂ったリドレー)」でした。しかし時代が味方します。世界中で自動車と自転車のタイヤにゴムが使用され始め、需要が急騰したのです。また、それまでは木を切り倒さないとゴムの収穫ができなかったのですが、リドレーの発案により木の幹に切り込みを入れるだけでゴムを採取できるようになり、一気にゴム農園が増えることとなります。1905年には400トンだったゴムの生産量は1920年には21万トンへと急増し、マレー半島一帯の大きな収入源となったのです。