にょろにょろとした緑色のスイーツ「チェンドル(Chendol)」。ホーカーやフードコートで目にして、「これは一体なんだろう?」と感じたことはないでしょうか。かき氷の上の主役にも、ゼリーやプリンのようなデザートにトッピングされ“脇役”にもなる万能ゼリー。今回、シンガポールで古くから親しまれるこの不思議なスイーツの歴史を探ってみました。
国によって呼び名もいろいろ
日本の抹茶のような鮮やかな緑色は「東南アジアのバニラ」といわれるパンダンリーフ(パンダナスの葉)の色。口に入れるとココナッツミルクのまろやかさとパンダンリーフのアロマティックな香りが特徴的です。
チェンドルとはそもそもマレー語。発祥はインドネシアで、こぶや突起を意味する「jendol(ジェンドル)」という現地の言葉に由来するといわれています。インドネシア西部が交通の要衝であり、各地を行き交う船が碇を降ろす港だったことから1900年代に入ってアジア各国へ伝わったと言われています。
実際、チェンドルはベトナムでは「チェー」(ツバキ科のチャノキの意)、タイでは「ロッチョン」(穴を通すの意)と呼ばれてアジア各国でデザートとして庶民に愛されています。出張やバカンス先で気づかずに食したことのある人も意外に多いのではないでしょうか。
興味深いエピソードとしては、タイの伝統的スイーツ10選にも選ばれる「ロッチョンシンガポール」にまつわるものがあります。ロッチョンシンガポールとはココナッツミルクのドリンクにチェンドルが入った一品ですが、かつてバンコクにあった「Singapore Cinema」と呼ばれるシンガポール系の名画座の店頭で生まれ、国民的デザートになったといわれています。
プラナカンが定着させた!? かき氷スタイル
発祥地のインドネシアでは、実はチェンドルは主にドリンクとして親しまれています。シンガポールのホーカーやデザート店でよく見かけるかき氷にチェンドルを乗せ、ココナッツミルク、茹で小豆、最後にグラマラッカ(ヤシの黒糖)をかける食べ方は、マレーシアのプラナカンが広めたスタイル。「Makansutra」ウェブサイト内にある『The history of Chendol』という記事によれば、1950年代シンガポールのマレーコミュニティの中心であるゲイランセライマーケットにチェンドルを出すホーカーがすでにあったとされています。
現在でも伝統的なスタイルのチェンドルが食べられると聞いてやってきたのがMRT南北線トアパヨ駅から徒歩7分のホーカーセンター。「Dove Desserts」と看板がかかげられた店頭にはいつも長蛇の列ができています。かき氷とチェンドルの上に、茹で小豆やグラマラッカをトッピングしたスイーツを勢いよくかきこむ会社員、椅子に座って氷が溶けるまでスプーンでかき混ぜながらお喋りしているご近所のお母さん。常夏のシンガポールの午後、涼をとるための日常の風景です。
お店の厨房を覗くと、チェンドルが大量に入った大きな容器が二つ、視界にとびこんできました。「一日に売る分だけを毎日手作りしているから、チェンドルがなくなったらその日はおしまいなの。工場で作られた既製品も悪くはないけれど、うちでは使わないわ」。そう話すのは店主のヘレン・ライさん。彼女の朝は厨房でパンダンリーフをジューサーにかけ、米粉などの材料と煮つめた後、漉し器でチェンドルを作ることから始まります。
今回、何軒かのチェンドル有名店を訪ねてみましたが、やはりマラッカやペナンの屋台仕込みのかき氷スタイルを出すお店がシンガポールでも人気のようでした。とはいえ、かつてラッフルズホテルにあったスイーツ店では、チェンドルとパンナコッタを組み合わせた型破りなスイーツを提供するなど、他文化を自己流にリメイクすることで知られるシンガポーリアンのこと。ほかにもインドネシアと同じドリンクスタイル、アイスクリームのチェンドル味、ドリアンをペースト状にしてチェンドルのトッピングにするのはこの国ならでは。アジアの国々に想いをはせ、インドネシアで生まれたにょろにょろスイーツ・チェンドルを午後のひと時にのんびり楽しんでみてはいかがでしょうか。