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2018年1月27日

ラベンダー

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機械修理と機械部品の店が軒を並べ、その間に仕事帰りの男たちが立ち寄る24時間営業のホーカーセンターやKTVが点在する男くさい場所であったところに、近年、カフェやゲストハウスなどが増え、労働者と若者、外国人旅行者が行き交う面白い場所へと進化しているラベンダー。今回のエリアガイドは、その歴史と、この地を選んで集まって来た個性あふれる店などを紹介する。

 

受け継がれるダイバーシティ。
ラベンダーの歴史

「ラベンダー」の地名は、エリアを東西に貫くラベンダー・ストリート(写真①)にちなむ。通りの名前が正式に決められたのは1858年。19世紀から20世紀初頭まで、一体は悪臭が強く、良い香りの花の名前をつけようという、住民から自治体への皮肉の効いた冗談めかした提案が受け入れられたことによる。悪臭の源は、一帯の農場に堆肥として使われていたふん尿だったとも、通りにあったガス工場であったともいわれる。

 

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❶ラベンダー・ストリート

 

ブギスからラベンダー方面へ、ビクトリア・ストリートを北上すると、突然、緑に覆われた開けた土地が現れる。そこは、シンガポールで最も古いムスリム墓地のThe Jalan Kubor Cemetery(写真②)だ。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、有力なアラブ商人アルジュニードが、交易の場となっていたカンポングラムからほど近い場所に墓地を造らせたのをきっかけに、周辺で生活していた、マレー系、インド系、インドネシア系ムスリムの人々が埋葬され墓標が立った。ひと口にムスリム墓地といっても、さまざまな様式の墓を擁し、その当時からのシンガポールのダイバーシティぶりを感じさせる。墓地の土地は現在、政府の所有となっているが、都心の好立地でありながら、これまで開発の計画などの話が持ち上がったことは一度もない。

 

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❷The Jalan Kubor Cemetery

ビクトリア・ストリート沿いに続く墓地の終わりは、インド系ムスリムが埋葬されていた区画で、そのすぐ隣にインド南部のマラバール地方出身のムスリムたちがMalabar Mosque(写真③)を建てた。現存する、一面ブルーの幾何学模様で覆われた壁と、金色のタマネギ型のドームが印象的な建物は60年代に建て替えられたものだが、現在は人種を問わずムスリムが礼拝に訪れている。

 

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❸Malabar Mosque

ラベンダーはもともと、広東人が機械修理業、福建人が機械部品業、海南人がコーヒーショップ、と、出身地の異なる中華系の人々がそれぞれの生業で共存していた場所であった。(写真④)現在は、ホテルやゲストハウス、カフェなどがその間に入り混じり、人の出入りが増え、都会の様相へと変化してきている。

 

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