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2018年2月28日

クイーンズタウン

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クイーンズタウンは、郊外の始まりといった立地ながら、オーチャードまではバスを利用してドアtoドアで30分弱、MRT東西線の駅もあり、利便性の良さから、2010年頃をピークに、現在も日系企業駐在員の一家が好んで住むコンドがあり、日本人には比較的馴染みのあるエリア。便利さがゆえ、住んでいても意外とよくは知らないという人も少なくない当地を今回は掘り下げる。

 

シンガポールで一番古い「ニュータウン」

クイーンズタウンについて書かれるとき、当地のメディアでは多くの場合、枕詞のように「シンガポールで最初のニュータウン」などという記述ではじまる。現在はHDBやコンドが多く立ち(写真①)、家族連れの姿が多くニュータウン然としているが、第二次大戦前は、プランテーションと墓地、そして、ヤシの葉を、屋根に葺き、編んで壁にした粗末な家に暮らす集落があるだけのカンポン(村)然とした土地であった。それが、エリザベス女王の即位を記念し「クイーンズタウン」と名付けられた1952年頃、転機を迎える。人口増加などのため、それまでの生活様式がフィットしなくなってきていたシンガポールに、イギリス植民地政府は、新しいライフスタイルの提供をしようと、地区にすべての生活機能を備えたニュータウンの建設を計画し、その第一号としてクイーンズタウンが選ばれたのである。農地や墓地だった場所に次々と公営住宅が建てられ、村は町へと姿を変えていった。ニュータウンの計画は、植民地政府から自治政府へ引き継がれ、公営住宅はHDBと名称を変え、さらにシンガポール建国後も進められた。64年にはクイーンズタウンのHDBに分譲スキームが初めて導入され、以降、シンガポールでは所得の低い者も持ち家を所有することが可能になった。さらに、シンガポールで初となるポリクリニックや地区専用図書館が設置され、コミュニティーセンター、映画館、スポーツ・コンプレックスなども次々と町づくりに加わった。

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❶クイーンズタウンに立ち並ぶHDBとコンド

 

その後、一通りの発展が完了し、新たな設備の導入が途絶えた1980年代には、若い人たちは他の新しい町へと移り住み、クイーンズタウンはお年寄りが住む古い町と認識されるようになる。だが、90年代に入ると、古いHDBが順次建て直しされるようになり、さらに、コンドの建設、IKEAAnchorpointのオープンなどにより町は活気を取り戻し、今に至る。加え、2015年にはドーソン地区に、シンガポールの各地区が時代に合った雰囲気を保つよう政府がすすめる「Remaking Our Heartland」計画により、SkyVille@DawsonSkyTerrace@Dawson(写真②)という、近代的でしゃれた外観の新しいコンセプトのHDBが景観に加わり、地区の活性化を後押ししている。どちらも屋上は共有のテラスになっており、住民でなくても出入り自由。特に SkyVille@Dawsonの屋上(写真③)は見晴らしが良く、南側はケッペルベイ、北側はマレーシアまで一望できる。

 

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左: ❷SkyTerrace@Dawson、右: ❸SkyVille@Dawsonの屋上

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